自分を大切にすることは、簡単なようで意外と難しい。
日々の生活のなかでつい他人を優先してしまったり、失敗した自分を厳しく責めてしまったりすることは珍しくない。
その背景には、脳や心の仕組み、社会や文化の影響が関わっている。
人間の脳には、ネガティブな情報を強く記憶する性質がある。
これは「ネガティビティ・バイアス」と呼ばれ、進化の過程で危険から身を守るために必要だった。
ポジティブな言葉よりも、否定的な言葉の方が心に残りやすいのはこのためである。
その結果、自分の欠点や失敗にばかり意識が向き、自分を責める思考パターンが強くなる。
また、「厳しさは成長のために必要」という考え方も根強い。
とくに日本では、謙虚さや自己犠牲を美徳とする文化的背景がある。
そのため、自分の感情や欲求を抑えることが「良いこと」とされがちである。
だが実際には、自分を押し殺し続けることが、ストレスや無力感、燃え尽きの原因になることも多い。
ここで注目したいのが、「セルフ・コンパッション」という考え方である。
これは心理学者クリスティン・ネフによって提唱された概念で、自分に対して思いやりを持つという態度を指す。
自分が苦しいとき、失敗したときに、自分を責めるのではなく、「つらいのは当然だ」と認め、やさしい言葉をかけるというものである。

セルフ・コンパッションには三つの柱がある。
一つは、自分に対して優しく接すること。
もう一つは、苦しみは誰にでもあるという認識を持つこと。
そして、自分の感情や状態に気づき、それを否定せずにそのまま受け止めること。
これらはすべて、自己否定のループから抜け出す助けになる。

自己肯定感と混同されがちだが、両者は異なる。
自己肯定感は「自分には価値がある」と評価する感覚だが、セルフ・コンパッションは「価値があるかどうかに関係なく、自分を大切にする」態度である。
つまり、うまくいっていないときでも、自分を見捨てないという姿勢が大切になる。

自分を大切にするとは、特別なことをすることではない。
例えば、夜寝る前に「今日もがんばったね」と自分に声をかけたり、自分の感情に気づいて「今、疲れているな」と認めたりするだけでもいい。
それだけで脳は安心を感じ、ストレス反応がやわらぐことがわかっている。
自分を大切にすることに罪悪感を抱く人もいるかもしれない。
しかし、飛行機の安全マニュアルにもあるように、酸素マスクはまず自分につけてから、他人を助けるのが原則である。
自分を整えることは、決してわがままではなく、他人を大切にするための土台でもある。

強くなるとは、何かに勝つことではなく、自分と戦わずに共に生きることなのかもしれない。
どんな自分であっても受け入れ、やさしく扱うこと。
それが、自分を本当に大切にするということの本質である。
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