職場で陰口を言われたと感じると、たとえそれが自分の耳に直接届いたわけではなくても、不安になったり、仕事に集中できなくなったりすることがある。
たとえば、同僚が自分の話をしていたような気がして、笑い声が聞こえてくると「もしかして自分のことを笑っているのではないか」と考えてしまう、というような場面だ。
そうした心のざわつきは、自分が気にしすぎているからだと思われがちだが、実はそれには理由がある。

人間の脳は、もともとネガティブな情報に敏感である。
心理学ではこれを「ネガティビティ・バイアス」と呼ぶ。
たとえば、上司から「この資料よくできてるね。
ただここだけ修正して」と言われたとき、多くの人は「よくできている」という言葉よりも「ここだけ修正」という部分ばかりが気になってしまう。
ポジティブな評価よりもネガティブな指摘が強く記憶に残るのは、原始時代から身についた”危険回避”の本能によるものだ。

現代の職場では、そうした本能が過剰に働いてしまうことがある。
特に陰口のように曖昧で実体の見えないものに対しては、不安が膨らみやすい。
だが一方で、「他人は自分が思うほど自分に注目していない」という現実もある。
心理学の研究では、これを「スポットライト効果」と呼ぶ。
たとえば、自分では「今日の服装、ちょっと変だったかな」と思って一日気にしていても、周囲の人はほとんど気づいていないことが多い。
陰口に対しても同じで、自分が気にしているほど、相手や周囲が長く引きずっているわけではない場合が多い。

こうしたことを踏まえると、陰口にどう向き合うかが見えてくる。
陰口を”完全になくす”ことは難しいが、”気にしない”ことはできる。
その方法のひとつが、陰口を「エアコンの風」のように捉える考え方である。
エアコンの風は、どこから来るかわからず、ときに寒く感じる。
しかし、それにいちいち腹を立てていたら疲れてしまう。
寒ければ上着を羽織るように、陰口も「ちょっと不快だな」と思ったら、その都度対処して、すぐに本来の自分のペースに戻す。
それくらいの温度感で接することが、自分を守ることにつながる。
さらに、陰口を言う人の心理についても理解を深めておくと、受け取り方が変わる。
たとえば、自分の上司に気に入られている人に対して、周囲が「あの人ばかり贔屓されてる」と陰口を言っていることがある。
しかし実際には、その人の努力や成果が見えていない、あるいは認めたくないという心理が背景にあることが多い。
他人を批判することで、自分の立場や気持ちを正当化しようとしているのだ。
こうした場合、陰口の対象になるのは、むしろ「目立つ存在」や「影響力のある人」であることも少なくない。
陰口を言われたからといって、自分が劣っているわけではない。
むしろ、自分が目に留まるほど頑張っている証拠である可能性もある。

大切なのは、自分の価値を他人の言葉にゆだねすぎないことだ。
たとえば、自分が準備した会議資料に対して陰口を言われたとしても、それを真に受けるのではなく、自分で「この資料は必要な情報を過不足なくまとめられた」と思えるなら、それが何よりの判断基準である。
他人の評価は一時的で主観的だが、自分が納得しているという感覚は長く自信につながる。

陰口を聞いてしまうこと自体は避けられない。
だが、それにどんな意味を持たせるかは、自分で選ぶことができる。
風が吹いたからといって、その風に心を持っていかれる必要はない。
自分の内側にある確かな判断軸を信じ、必要なら心に一枚、風よけの上着を用意しておけばいい。
陰口に対して、敏感でありながらも、動じない自分を育てていくことが、職場で穏やかに過ごす一つの知恵である。

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