気づけば、また自分を責めていた。

誰かに怒られたわけでもないのに、心の中でずっと「ダメだな」とつぶやいている。
あのとき、ああすればよかった。
なんでこんなこともできないんだろう。
そんな思考がぐるぐると回り続けて、抜け出せなくなる。

自己嫌悪という感情は、まるで自分の中に住みついた小さな敵のようだ。
口調は静かで、でも容赦がない。
「お前は価値がない」と毎日、耳元で囁き続ける。
それが本当にただの幻想だとわかっていても、心はそれを信じてしまう。

最初は小さな反省のつもりだったかもしれない。
けれどそれが日に日に重くなり、やがて心の奥に巣を作ってしまう。
そうなると、もう自分のことを肯定するのが怖くなる。
「こんな自分が幸せになってはいけない」と、無意識のうちにブレーキをかけてしまうのだ。
不思議なことに、自己嫌悪が続くと、脳も体も本当に元気をなくしていく。
何かに集中しようとしても頭がぼんやりして、やる気が湧かない。
夜は眠れなくなり、朝は起きるのがつらくなる。
風邪をひきやすくなったり、ちょっとしたことに過敏になったり、心と体のバランスが崩れはじめる。
それだけじゃない。
自己嫌悪は、人との距離も遠ざける。
誰かに優しくされても、「どうせ本心じゃない」と疑ってしまう。
むしろ、嫌われるほうが自分にとってはしっくりくる。
そんなふうにして、少しずつ、人とのつながりを断ってしまう。

やがて、自分でもよくわからない行動が増えてくる。
暴飲暴食、寝すぎや夜更かし、やらなきゃいけないことを後回しにするクセ。
「どうせ自分なんて」と思っているからこそ、わざと失敗するような選択をしてしまう。
まるで自分に罰を与えるように。

一番つらいのは、幸せを感じられなくなることだ。
楽しいことがあっても素直に喜べない。
「自分にはそんな資格はない」と感じてしまう。
だから、どんなに周りが祝ってくれても、どこかで一歩引いてしまう。
心にあいた穴は、何を入れても埋まらない。

でも、本当は誰もが知っている。
こんなふうに自分を責め続けていたら、どこかで限界がくるということを。
それでもやめられないのは、過去に誰かから否定された記憶が、今もずっと残っているからかもしれない。
「もっとちゃんとしなさい」「失敗するなんて恥ずかしい」そんな言葉が、心の奥で響き続けている。

けれど、自分を責めることが自分を守る方法だった時期があったのだ。
それが唯一の生き方だったかもしれない。
でも今、そのやり方がもう苦しくなっているなら、少しだけ考えてみてほしい。
「本当に、自分を責め続けることで得られるものは何だろう」と。

完璧じゃなくても、優しくなくても、誰かと比べて劣っていたとしても、それでも人には価値がある。
あなたにもある。
自己嫌悪は敵ではない。
ただ、心が「気づいてほしい」と叫んでいるサインにすぎない。

もし、もう疲れてしまったなら、今日くらいは自分に少しだけ優しくしてみてもいい。
そう思えるその瞬間が、自己嫌悪という長いトンネルの出口に、ほんのりと光をともす始まりかもしれない。
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