あの日のことを、なかったことにはできない。

ふとした瞬間に思い出してしまう。
あるいは、思い出そうとしても何も感じない。
何かがおかしいと気づきながらも、言葉にできないまま時間だけが過ぎていく。
トラウマとは、そういうかたちで私たちの中に残る。

でも、それは「心が弱いから」ではない。

強烈な体験をしたとき、私たちの心と体は、それを乗り越えるために全力で働く。
そして、そのとき身につけた「防衛のしくみ」が、今もなお働き続けているのだ。
危険は過ぎ去っているのに、体だけがずっと戦っている。
だから、苦しくなる。
それを癒すには、ただ忘れようとするのではなく、心と体の両方に「もう安全だ」と伝えていく必要がある。

その一つの方法が、体を動かすことだ。
たとえば、ゆっくり歩いてみる。
呼吸のリズムに合わせて足を前に出す。
たったそれだけのことが、過敏になっていた神経を落ち着け、心を静かに整えてくれることがある。
体が緊張を緩めると、不思議と心の中にもスペースが生まれる。
運動は、言葉では届かない深い部分に働きかける力を持っている。

もう一つ、大きな助けになるのが「書くこと」だ。
日記のように、誰に見せるでもなく、自分のためだけに書く。
どこで何があったのか。
あのとき何を感じたのか。
そして、今それを思い出すと、どんな気持ちになるのか。
言葉にすることで、混乱していた感情がゆっくりと整理されていく。
無理に前向きな言葉にする必要はない。
ただ、心の中の混沌を紙の上に移していく。
それだけで、気づかなかった思いに出会えることがある。

話すことがつらいとき、目を動かすだけで心が軽くなることがある。
EMDRと呼ばれる方法では、左右交互に目を動かしながら過去の記憶に向き合う。
まるで夢の中で記憶を整理するような不思議な方法だが、深い傷を少しずつやわらげる助けになることがある。
これは専門家の助けが必要だが、言葉にならないつらさを抱える人には大きな味方になるだろう。
人とのつながりも、癒しに欠かせない。
どんな言葉をかけられるかよりも、「そのままのあなたでいい」と感じさせてくれる存在がいることが大切だ。
安心できる人の前で、自分の感じていることを否定されずに語ることができたとき、心は少しずつ閉じていた扉を開き始める。
私たちの神経は、誰かとのあたたかいつながりによって「大丈夫」と感じるようにできているのだ。

香りや肌の感覚など、五感を使った癒しも見逃せない。
たとえばラベンダーの香りは、緊張した心を静かにほぐしてくれる。
毛布にくるまる、ぬるめのお風呂にゆっくり浸かる、やわらかいものを触る。
そういった小さな感覚が、心にとっては「安全」を伝えるメッセージになる。

言葉にできない思いを、絵にしたり、音にしたり、体の動きで表現することも効果がある。
芸術的な才能は必要ない。
ただ、感じているものを外に出す。
そこに意味をつけなくてもいい。
内側に閉じ込めた感情が、少しずつ形を持ち始めるとき、言葉を使わずに心が癒えていくことがある。

そして、もっとも静かで、もっとも力のある方法のひとつが「今、ここ」に戻ってくる練習だ。
マインドフルネスと呼ばれるこの方法では、過去でも未来でもなく、今自分が呼吸していること、足が床についていること、風の音が聞こえること、そういった「今この瞬間」に意識を向けていく。
最初は難しく感じるかもしれないが、続けていくうちに、心が暴れすぎるのを少しずつ止められるようになっていく。

癒しとは、過去を消すことではない。
それは、自分の中にある傷と共に生きていく力を取り戻していくことだ。
どれも簡単なことではないが、小さな一歩が確かに道を作っていく。
自分を責めず、急がず、少しずつ。
癒しは、いつも「今ここ」から始まる。
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